「ぼくはできなかったのだ」

『8bit年代記』で、「ぼく」が『王立宇宙軍』を見て己の限界を感じて絶望するシーン、あれは何度見てもいいですね。ゲーサイ本誌で見て、単行本で見て、さっきまた読みました。

何かを作る、クリエイトすることができる人は、必ずこの絶望にぶつかる瞬間があると思うのですよ。自分にはこいつよりも才能も、環境も、資金も、経験も…何より「本気」と「やる気」が足らないのだ、自分はこいつを越えられないのだ、ということに気づく瞬間が。
もし「まだ無い」という人はその日まで出来る限りの頑張りと鍛錬を行って下さい。何もかもが無駄になりません。「あるんだろうけど無いと思いたい」と言う人は早めにぶつかっておいたほうが、ハシカみたいに重症にならずにすむので逃げずにぶつかることをお薦めします。

自分がクズだと認識して、なにかにつけ「僕はクズだから」と卑屈になって努力を止めてしまうのも、クズとしてふさわしい場所から努力をやり直すのも、クズにしかなれなかった分野を経験の一つと割り切って新しい道を目指すのもそれは個人の自由でしょう。
大事なことは「自分の分を知る」こと、自分がどこでどの立場でどのくらいクズなのかを思い知ることだと思います。自分がどこに立っているかを分かれば、そこから歩き出せるしジャンプも出来るんです。いつまでも「自分のいる場所はここのはずだ」では、背中を丸めて下を向いて、恐る恐るしか歩けませんし、なにかにつけ落っこちてしまって要らぬケガをしてしまいますよ。

最後に邪魔をしているのはほんの、サランラップみたいな、薄いくせにペタペタくっついて離れてくれないプライドってやつです。
「ぼく」のように、両手で顔を覆って、涙と鼻水を流してしまえば楽になると思いませんか。