1年間の総括5

コナ美を産んでからの1年間で一番つらかった時期はいつか?と言われたら僕は間違いなく「産婦人科に入院していた5日間」と答えます。
何が辛いかというと赤ちゃんがしばらく泣きやまないと予告なしに知らない人(看護師)が様子を見に来るということです。

僕の産んだ産院はいわゆる母乳信仰がちょっと強いところで、僕は退院間際になるまで母乳が出るようにならなかったのですが、「赤ちゃんは3日ぐらいは飲まず食わずでも大丈夫」と、体重が基準以上減ってしまうまで母乳以外のものは与えさせてくれなかったのです。いくら死なないとはいえ何も飲まないとおなかが空いて泣きます。乳首をくわえさせていれば刺激になってそのうち母乳が出る、とのことだったので頑張って泣くたびにくわえさせてはいるものの1滴も出ず、乳首は一瞬でかさぶただらけになりました。ランシノーをガンガン塗りました。
産んで2日目、2月6日の朝です。コナ美はまあ早朝から腹をすかして泣いたり泣かなかったりしていたのですが、朝ご飯を時間までに取りに行かないと知らない人(看護師)に部屋まで持ってこられてしまうので、ちょっとおとなしくなった隙に取りに行って、食べ始めようとしました。そしたらコナ美がまた泣き出してしまいました。この時点で8時を過ぎていて、また泣き止ませに時間を取られたりして下膳が遅れるとそれはそれで知らない人(看護師)の手を煩わせてしまうので、とりあえず急いで飯を食ってしまおう、と思いました。自分はデブなので食べる速度には自信がありますし、ご飯もすでに冷め切っていたのでまあすぐに食べ切れると思っていました。
食べ始めてすぐ、知らない人(看護師)が泣いているコナ美を心配してドアを開けました。
その人が見た光景は、泣いている赤子と、それに背を向けてすごい勢いで飯をかっ込んでいる死んだ目の母親です。
自分でもこのとき「目が死んでるんだろうな」と思っていたので、他人が見ればもっと死んでいたんでしょう。看護師さんが提案します。「お腹が空いて泣き止まないようですので、赤ちゃんに糖水をちょっとあげましょう。その間ナースステーションで赤ちゃんは預かっておきますのでゆっくりご飯食べててください」







病院の名誉のために書きますけど、産院はとても良い病院だったと思います。地元で赤ちゃん産む人がいたらおすすめしてもいいレベル。

ともあれコナ美はようやく空腹から解放されたのでこの日はずーっと寝ていました。僕はやることがなくなって(夫は書類出すためとかで札幌に帰ってしまっていて、親も仕事で、見舞いも来なかった日だった)、すごい手持ち無沙汰になって、無駄についったーをしまくったり前髪切ったりしていました。