1年間の総括(の前提)

今日…もう昨日か、僕の長女のコナ美(←生まれて速攻皆様につけていただいたHN)が1歳になりました。
なのでこの1年の間に起こったことを忘れないうちに書き留めておこうかなあと。
あくまで僕が忘れないための記述なのでたぶん文体とかめちゃくちゃになりますし山も落ちも意味もない感じになると思います。

世の中ちょろかったりちょろくなかったり

僕ら夫婦は最初子供を持たないつもりでした。でも僕が30歳を過ぎてから、急に、「女性として生まれたからには子供を産んでみたい!『出産』の実績解除をしたい!」と思ってしまったのです。

子育て関係のブコメとかを見ると「今のこの時代で子供を作るのなんて親のエゴだよ」みたいなものが散見されますけど、まさにその通りだと思います。将来コナ美がグレて「私なんか生まれてこなきゃよかったんだ・・・」とか言い出したら「あんたはカーチャンが生みたくて生んだんだからあんたに生まれてきた責任はない」と申し伝えようと思っています。

で、今でいう妊活を始めたのが2012年の春ぐらいでした。せっかくだからグラディウスの発売日であるところの5月29日に誕生日が来たらいいなと思いまして。別にギャグで書いているわけではありません。僕ら夫婦は本気でそう思って妊活しました。ちょうど仕事も業務内容が縮小されたりしていまいち面白くなくなってきていたころなので産休を取るにもいいタイミングでしたし。

健康にだけは自信がありまくるフジサキでしたので、首尾よくすぐに妊娠しました。本当にばっちりです。年度替わりの2013年4月から産休に入り、グラディウスの発売日あたりに出産できるタイミングでした。マジばっちりでした。

僕は思いました。
世の中ちょろい
と。

フジサキは世の中のちょろさを最大限に享受し、もう仕事の面白くなさも反りが合わない同僚も全然気にならなくなりハッピーな毎日を送って2か月ほどが経ちました。いつものように産婦人科でエコー検査を受け、その結果がお医者さんから言い渡されました。
赤ちゃんは8週目で稽留流産と診断されました。

いまさらここで書くまでもないことですが、15%ぐらいの妊娠が初期のうちに流産してしまうそうです。
なので今回のこれ自体は残念なことではあるが異常なことでもないと。僕のいいところは人から言われたことを額面通りに信じることなので、残念だけどそうなのかー、という感じでした。

僕は思いました。
世の中ちょろくなかった
と。

で、腹の中にあるものを早めに出してしまわないと母体に悪影響が出るということで、手術をすることになりました。要は妊娠中絶手術と同じです。手術自体は日帰りでできて、次の日に様子を見るために1回通院必要、と言われたので9月25と26に会社の休みを入れました。

そしてその前日の2012年9月24日。妹の子供が生まれました。
母親が旭川から札幌に駆けつけてきたので、仕事を定時で上がって一緒に病院に見に行きました。で、この時に初めて自分の状況を母親に伝えました。よりによって明日この病院で手術だと。流石に妹には落ち着くまでは言わないでおこう、と言うことにしました。

翌25日、手術です。とにもかくにも病院内で妹と鉢合わせしないかどうかだけが心配でした。その日担当の外来の先生は(大きい病院なので常時2〜3名以上医師がいるんです)、ちょっと苦手だったぶっきらぼう系のおじいちゃんの先生でしたが、この人がいつも通りぶっきらぼうで無神経な感じで「まだ若いから次頑張って」みたいな風に言ってくれた時、不思議なことにちょっと安心しました。たぶんこの人にも気を遣った言い方をされてたらもっと事態を深刻に受け止めてしまっていた気がします。まあ人を選ぶ励ましだったのは否定しませんが。
生まれて初めて点滴を打ちました。手術の施術自体は30分ぐらいで済むもので、その間は静脈麻酔で意識がない状態です。静脈麻酔は衝撃的でした。名探偵コナンの麻酔針の描写は正しかった。
看護師「吐いたりしないように顔を横に向けてください、点滴の管に麻酔のお薬入れていきます」
僕「(10秒後ぐらいに)早いですね、もう眠k


看護師「はい終わりました〜。ストレッチャーに移しますね」
僕「えっ」
意識が飛んでいた時間は40分ぐらいでした。あとは麻酔がさめるまで2〜3時間寝て休んで、具合が良くなったらナースステーションで(入院患者用の)リストバンドを切ってもらって帰っていいと。

昨日に引き続き母が札幌にいて、夫も休みを取ってもらったので、僕を迎えに来てもらいがてら3人でまた妹の赤ちゃんを見に行きました。

僕は思いました。
世の中ちょろくないけど面白いわ!
と。