いかにして私はアケマスプロデューサーとなったか

今日のついったーより。一部誤字脱字補填。

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ゲームに、特にアケゲーにはまるって言うのは多かれ少なかれ「マゾ要素」があるのよ。アケゲーやらない人から見たら、家庭用に比べて高難易度なゲームなのにゲームオーバーになっちゃったらそこで終わり(にしちゃわないといけない慣例)だし、パチンコみたいにお金が儲かるわけでもないし
しかもゲーセンに行かないとプレイできない。ゲーセンの空いてる時間に、起きて着替えて顔洗って、髭剃ったり化粧したりして交通費使って行かないといけない。プレイヤーはそんな、はたから見ると不可解で厳しい状況を、あろうことか有料で楽しめる。これをマゾといわずして何といおうか。
そんなアケゲーの中でもアケマスはさらにマゾ向けだった。プレイ料金は高いし、普通にプレイするだけでもレッスンのミニゲームは難しいしオデもムズいのに、そこに対人戦要素。
そして極めつけは流行情報とキャバメ。「プレイヤーのリアル予定を左右するアケゲー」なんてほかには存在しないよ。いおりつこ千早とか、夜の10時に「明日何時に来てくれ」って言い出すんだよ、大人の世界でそんなアポはなかなか厳しいよw
アケマスは「アケゲーそのもの」を高難易度化させて作った作品といって差し支えないと思う。(僕はリアルタイマーじゃないのでじゃっかんアレな比喩だけど)STGの世界にバトルガレッガが出たときと同じような衝撃があったんじゃないかと。
「自分の好きな時間にプレイできない」「プレイ料金が高い」「スコアでプレイを比較される」「難易度が高い」「どこの馬の骨と分からないやつと対戦させられる」「しかもミスが許されない」・・・ほら、アケゲーやらない人が嫌いそうな要素が全部詰まってるw
でもアケゲー好きな人は、こういう要素が、全部ではないにしろ、好きなのよ(笑)マゾだから(笑)
アケマスの唯一最大の魅力は、その「マゾゲーさ」だった。それが僕の主張。だからアケマスは一部のコアなファンにあそこまで愛された。バトルガレッガがそうだったように。
箱マスは一応アケマスと同じシステムで出た。しかしながらアケゲーでない時点でそのシステムにはなんのマゾ要素もなくなってしまった。そもそもキャバメがねーしw僕が箱マス駄目だったのはそういう理由。
しかし幸運なことに、アイマスという作品は、そんなアケゲーマーのマゾどもとは比べ物にならないほど大人数の人に訴求できる魅力を持っていた。いうまでもなく、美しいポリゴンモデルで描画された可愛く魅力的なアイドルたち。
以後の展開は僕がわざわざTL汚してまで説明することじゃないでしょうから割愛。
アケマスクラスタの一人として、なぜアケマスが好きなのか?をいい機会なので書いてみました。ええ、マジで、アケマスは高難易度STGみたいな、狂った・尖ったゲームでしたよw
「コンピュータゲームに人間様が振り回される快感」ってのを得られる人じゃないと到底無理なゲームだったw
ああ、最後に一言だけ。キャバメシステム、あれはコンピュータゲーム界におけるものすごい発明だと思う。ゲームの世界の電脳虚数空間のアイドルから、プレイヤーの携帯に、「何日何時に来て<3」ってメールが届くんだよ。超サイバー。ある意味ホラー。