12日未明のTwitterまとめ

僕らは自分らのことを「グラディウス関係のコレクター」であって「基板や筐体のコレクター」ではないと思っているんだけど、フォロワーさんたちにとっては僕は「基板・筐体er」(基板コレクター?)の印象が強いみたいですねwグラ以外の基板等に関しては「好きなゲームだから買ってる」だけです。基板erとしてはおそらく普通かちょっと少ないぐらいの所持数ですし・・・

筐体が置ける環境を手に入れたのも、アケグラ全種類同時可動が可能な環境作り&沙羅曼蛇純正筐体が置ける&今ゲーセンに置かせて頂いているソーラーアサルト(29インチ)をいつ引き取ることになっても良いように&うっかり50インチのが手に入っても置けるようにするため です。全てはグラのためなのですよ!

  • ヤフオクで誰かが「卒業(引退)」したのがありありと分かる出品を見ると悲しくなる
  • 欲しかった物が出ていたので落札したらリスペクトしてる基板erさんだった→サイト見たらなんか引退っぽい→「うわーんこれ落札したのなかったことにしていいから引退しないで」って喉まででかかった
  • @konaken 引退するときに破棄しちゃうコレクターも少なくないので形見分けだと思って買うのがいいですよ。
  • @xxxx まぁそう思う自分もいるので買うのにいやな気分にはならないんですけど、同じ趣味の同士が一人居なくなってしまうというのがさみしくてねー
  • なんて言うか、僕(ら)はゲーヲタとしてそれなりに「逸脱」した域にいて、でも僕らよりももっと「逸脱」してて、目標って言うかリスペクトしてる人が居たわけよ。でもその人の「引退」を知っちゃうとすげーショックで。
  • 僕らも同じ土俵にいるからその「逸脱」がどんだけ、ハガレンの等価交換みたいに人生を消費して出来てるのか分かっちゃってるから、だからつらい
  • 勿論ご本人にはご本人の事情があって、僕が思う(以上の)とおりにつらい気持ちで引退を迎えようとしてるのは重々承知なんだけど、同じゲーヲタとしての、同じ逸脱の世界の中で見たら、それは世界からの消滅、つまりは「死」なわけよ。病気でも事故でも自殺でも、目の前に死にそうな人が居たら混乱するし悲しいし助けたいと思っちゃうじゃん。
  • 尊敬していた人、自分よりもずっと「強い」と思っていた人の「死」に直面するということ。仲間を失ってしまう悲しみと、当然考えてしまう自らの「死」と。
  • あと何回僕らは他人を見送らないといけないのかな、とか。
  • @konaken 残念なことに日本ではあまり「コレクター文化」が育ってないんですよね。エミュレーター(MAME)の登場で基板の価格がどかーんと下がったんで、それでもなお「コレクター」を続けるにはよっぽどのモチベーションが無いと辛いです。自分でコレクションの目的を見つけられないと。
  • DECOだけに絞って基板を集めるとか、そういう取捨選択ができないと「コレクター」としては成長できんのだす。そして一度指針を決めたら、自分が興味ないものでも買い集めておく。それが「コレクター」になれる最低条件。「自分の好きなもの」を買うだけの人は「コレクター」ではないんだす。
  • @konaken 残酷なことをいうと、単にモノを集めるというフェーズから、それをマネタイズするところまでいかないと本当の意味でコレクターにはなれないんです。アミューズメント関連でそれが出来てるのは、パチンコ博物館の館長と、マインドウェアの社長と、あと数人程度しかいないんです。
  • @xxxx 日本だから、かどうかは分かりませんが趣味を趣味のまま極めていくのは難しいですからね、やはり
  • 趣味を高じさせる、の頂点は「仕事にする」だと思うんだけど、そこから先はその事象に対するモチベーションと言うか推進力が「趣味」「仕事」の2本になるわけでしょ、「趣味」だけで行ける場所ではなくなっちゃうわけで・・・
  • んあー言いたいことがまとまらないなぁ。僕らは趣味を趣味のままでどこまでやっていけるか、みたいのを頑張っているので、同じ「趣味」の人が「仕事」にシフトしていったり途中で辞めて行くのを見てると不安になるんだよ
  • 趣味を仕事にするとつらい。仕事では妥協したくないところで妥協したり、趣味の範疇ではどうでもいいことにひたすら労力を注ぐ必要があったり……。幸せに趣味を続けたいなら仕事と趣味は同じで無いほうが良い。
  • @xxxx 「趣味」から見ると「趣味+仕事」は不自由で楽しくない部分もあるでしょうけど、僕のなかでは二者はもう「土俵が別」なんですね。「趣味」の側から「趣味+仕事」を見て論じてしまうのは的外れというか、失礼に当たると思っているので、その二者を僕は比較しません。
  • 趣味を趣味のまま突き詰めて行く僕らの姿勢は甘えとか逃げなのかな?それともチャレンジなのかな?
  • @konaken 趣味は趣味なのでそのまま行ければそれで良いんじゃないでしょうか。甘えとか逃げとかチャレンジとか無いと思う。自分が楽しければそれで良い。趣味だし。
  • 趣味でなければ成し遂げられないものがあり、仕事でなければ生み出せないものがある。と思うのです。
  • 究めていく、ってことは手で持っているものがどんどん正帰還で大きくなっていくって事で。それはお金であったり物理的な物の量であったり、自らのやりたいことであったり。
  • それがはたしていつまでも「趣味」だけの掌で持っていられるのかなーって不安になる
  • 持ちきれなくなってポロポロこぼれていくようなのは嫌だし、手の方が耐えられなくなって全部落っことしてしまうのもイヤだし、それを恐れてどっかで正帰還を止めてしまうのもイヤだなと
  • うーん…現物を限りなくそのままで集めるコレクターが居ても良いと思う。「本当の意味」なんて自分に在ればいいんだから。
  • 昨日のコレクターの話だけれども、「モノを集めたいから集める」というのは別に悪いことではないけれども、それはやっぱり、生活と天秤にかけたらやっぱ生活の方が重要になる。
  • @xxxx それはその通りですねー。やっぱり人一人で持てる限度ってのはありますから、どうしてもどこかで「深さ」か「広さ」を諦めないといけない地点は来ます
  • ライフスタイルとして維持できる金額の趣味(例えば盆栽を育てるとか)でないばあいは、動産としてのコレクションを運用する、という思想が無いと、いつかは「卒業」しなければならないわけです。また、そうやって「運用」することでコレクションを持っていない人にも自分の幸せを分け与えられる。
  • 「コレクション」というのはある意味で「blessing(天恵)」であるので、それを独占するのではなく、公共の福祉に浴させる場を与えることが、それを持つものの使命であると。そういう思想が欧米の「コレクター文化」の芳醇さを支えているわけです。
  • まー過去のものは誰かがコレクションしてくれてるかもっていう安心感が……あるか?
  • 「グラは有名なゲームだから全種類持ってる人ぐらいごろごろ居るだろ」と思っていたら全然そうじゃないことが判明→ごらんの有様だよ